2005年 7月 2週目 功徳(くどく) |
皆さん、こんにちは。天気予報によりますと、そろそろ梅雨が終盤に入るそうです。梅雨が明けますと、いよいよ夏の到来で本格的に暑くなってきますね。
先日の夕暮れ時、境内の木に蝉(セミ)がとまっているのを見ました。蝉は7年間ほど土の中で栄養を摂って成長し、地上に出てくると1週間ほどの寿命で死んでしまうと言われます。実際には(一匹一匹に差があるでしょうが)1週間よりももう少し長く生きるそうです。どちらにしても、土の中から数年かけてやっと出てきて飛び回ったかと思うと、1週間から2、3週間で死んでしまうのは儚いですね。 自らの運命を察しているのか、短い間にオスは精一杯鳴いてメスを呼び、メスは卵を産み付けます。蝉の鳴いたり飛んだりする姿しか私たちは見ませんが、道路の整備によって土がアスファルトとなり、出てくることさえできない蝉たちもたくさんいることでしょう。今年の夏も蝉は、親からもらった命を子供へ引き継ぐために土から出てきて精一杯生きるのです。 さて話は変わりますが、皆さんは「功徳(くどく)」という言葉をご存知ですか?「功徳」とは、梵語(サンスクリット語)で「グナ」といい、現在や未来に幸福をもたらす善い行いをいいます。善い行いをした報いとして、神様・仏様のご利益を頂くこと、御加護(ごかご・神仏が私たちを導き、守って、救ってくださるお力)によって救われることをいいます。 今週は、その「功徳」にまつわる有名なエピソードをお話したいと思います。 今からおよそ1500年ほど前、中国・梁(りょう)の武帝(ぶてい)という方がいました。武帝は仏様の教えをとても大切にして従っていました。 たくさんのお寺を建てたり、お坊さんにお金や食べ物などを援助していました。 そんなある日、「達磨大師(だるまだいし)」というインドのお坊さんが仏様の教えを広めるために中国に訪れました。 武帝は早速、色々な食べ物や飲み物などを用意して丁重に歓迎しました。武帝は達磨大師に「私は仏教をたいへん尊敬し、大切に心に思い、教えに従って生きています。お寺もたくさん建てました。お坊さんへもたくさんのお布施をしています。私はいつも仏教の繁栄に役立つように善い行いをしてきました。どれだけの功徳があることでしょう!」と話しました。 それを聞いた達磨大師はすぐさま「無功徳!」と言いました。功徳は「ゼロ」ということです。 武帝はたいへん驚いたことでしょうね。 達磨大師が「無功徳!」と言ったのは、いけずをしたわけでも、冗談で言ったわけでもありません。本当に「無功徳」なのです。 皆さんはこの話を聞いてどう思われますか?「仏教の繁栄のために色々としてくれているのにひどい」とお思いになるかもしれません。 しかし、武帝の場合は「無功徳」なのです。 なぜ「無功徳」なのか?それは、仏様へ見返りを期待しておこなうような行いは、仏様への本当の信仰ではない、心から教えを大切に思っていない、心から教えに従っていないということですから、「功徳は無い」ということです。 武帝は仏様のご利益、御加護が欲しいために、お寺を建てたり、お坊さんにお布施をしたりしているからです。 武帝が心から仏様の教えを本当に大切に思っているのなら、口から「どれだけの功徳があることでしょう!」という言葉は出てこないということです。 武帝は達磨大師に「それは立派なことです。とても深い大きな功徳があることでしょう。」と言われたかったのでしょう。 しかし、「功徳が欲しい」という武帝の心を読んだ達磨大師は「無功徳!」と言われました。 他人に何かしてあげるとします。自分の心に「見返りが欲しい」という気持ちがあって、実際に相手から見返りが無い場合「してあげたのに、なぜお返しが無いんだ」と執着心(心にそのことばかりを思うこと)が生まれ、怒ったり、してあげたことを悔やんだりします。 誰でもこういう経験をされたことがあるのではないでしょうか?実際には見返りを期待しないで、他人に何かしてあげるのはなかなか難しいことかもしれません。でもそれができると、執着心やそこから生まれる怒りや後悔などの嫌な思いは心に起こらず、清らかなすがすがしい心のままで過ごすことができ、心と体の安定に繋がることでしょう。 見返りを求めるような小さな心を超えて、もっと大きな心に育てることが大切なのです。 仏様を信仰するのに、武帝のように「功徳が欲しい」という下心を持って信仰するのでは意味がありません。 「功徳」は仏様から結果として授かるものです。信仰する者の気持ち次第で「功徳」にも「無功徳」にもなるのです。 達磨大師が帰った後、武帝は「無功徳!」という言葉の深い意味を理解して後悔しました。そして、達磨大師を呼び戻そうと思って使いを出しましたが、もう会えなかったということです。 達磨大師は南インド出身の実在のお坊さんです。中国における禅宗の始祖として尊ばれています。「面壁(めんぺき・壁に向かって座禅を行うこと)」の修行を9年間行った結果、手や足が萎縮(いしゅく)したという伝説があります。 その伝説が「だるま人形」の元になっています。 合掌 善正寺住職 |
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